マスメディアの終焉か

前回の記事で、『またボチボチと』と言いながら、長い間更新せず、申し訳ありませんでした。

実は、2016年10月13日付けの『蓮舫の二重国籍と逮捕、解散・総選挙』という、私にしては少し過激なタイトルで、netで流れる情報を自分なりに整理して記事を書いたことがあります。

この記事を書いたのは、「時々は政治・時事関係のことについて発言したい」という気持ちがあったのと、「その時、自分がどのようなことを考えていたかを記録しておくのが、このブログの目的の1つだ」と考えていたからです。

それで、先月、蓮舫が19頁に及ぶ戸籍謄本の一部と台湾当局が発行したという台湾籍離脱証明書を公開したところ、net上では書類内容の正当性などについて異論が相次いだ。

小野田紀美参議院議員の次のような分かりやすいtweetも出た。


そこで、以前と同様net情報を整理して、このことに関連して何か書こうと思ったが、なぜか気乗りがしなかった。

生来の横着者であるという外に、「どうも最近のマスメディアの報道ぶりは今までで最悪ではないか」という想いが私の頭の隅からずっと離れず、妙な話だが、そちらの方が気になっているのが原因のような気がしている。

なお、記事の品(そういうものは元々ないが)を保つため、本当はマスゴミと書きたいところを、今日は敢えてマスメディア、(以下「メディア」)と書きます。

また、都合上、この辺りから「である調」をメインにします。
よく言われるように、今、メディアの偏向・捏造・印象操作が酷い。

TVでは、握手をしているのにその場面をカットして写真撮影を断った場面と繋げたり、人の発言を文脈の前後を切り取って別の個所に貼り付けて真逆の意味のようにしたり、別の場面で語ったことを同じ場面で喋ったように印象操作をしている。

「以前なら他のTV局から牽制が掛かっていたが、現在ではそんなことはなく、例えばどのTV局のワイドショーでも、同じTV制作会社が制作しているのがその一因だ」と指摘する向きがあり、私も「そうだろうな」と思ってしまう。

先月の産経新聞デジタル版のある記事が印象に残っている。
印象に残っていると言いながら、例によって曖昧な記憶で申し訳ないが、「新聞は真実を報道するのが使命であり、紙面では報道の部分と新聞社の意見の部分は明瞭に区別すべきだ」と書いていたと思う。

これは私が物心ついた頃から、と言えば言い過ぎかも知れないが、かなり若い頃から思っていたことで、全くそのとおりだと思う。

新聞社の意見の部分は、社説や座談会などでの特集紙面、せめて記事解説あたりまでにして欲しいが、現実はそうなってはいないようだ。

「報道しない自由」という、最初見たときにはホントに法律上そんな自由があるのかと思ったような言葉がある。

しかしこれは、「報道義務の放棄」「ジャーナリズムの終焉」を意味する言葉としか、私には思えない。

問題は、これらのメディア報道は悪く言えば洗脳であり、その印象操作の影響を受けている人がかなり多いのではないかということだ。

これは私の偏見だが、その影響を強く受けているのは、やはり統計的に見てTVを長時間観ており、新聞もよく読んでいる概ね60歳以上の年齢層だろうとイメージしてしまう。

この年齢層では、メディア報道を批判するtwitter,blog,facebookなどの投稿記事を読んで、メディアの報道内容に疑問を持つことなどない人が多いのだろうな、と思う。

人がどのような意見や考えを持っていたとしても、そのことだけで他人がとやかく言うことではないが、メディアの印象操作により事実関係を誤認させられ、誤った判断に誘導されるというのであれば、大きな問題だ。

それで、どうすれば良いかということになるが、大したことは思いつかない。

TV局
・悪質な報道については、放送免許剥奪・停波を実施する。
・地上波の独占をなくすために、電波オークションを実施する。
・NHKを解体する。

新聞社
・新聞社の株式の譲渡制限を設けている日刊新聞紙法を廃止する。
・押し紙に対して厳正に対処する。
で、具体的に自分に何ができるのか?
・国政選挙でそういう公約を掲げる候補者に投票する。
・メディア報道の問題に取り組んでいる、賛同できる活動にできる範囲で協力する。
・そのような意見を掲げているブログのランキングを上げるために、ポチをクリックしたり、ツイートをRTして拡散し、問題意識を持つ人を増やし、世論を盛り上げる。

なんとも歯切れが悪く、ショボくて情けないなぁ。

紙の新聞については、長年同じ新聞を読み慣れている人や、仕事上の付き合いで購読している人も多いだろう。

そして例えば私がその人に、「その新聞は読まない方がいい」と言うのは越権行為であり、相手との距離感や場面によっては許されるにしても、基本的には言ってはいけないことだと思っている。

私が逆の立場だったら、相手に理由を訊く前に「何でお前に指図されなきゃならないんだ」と、まず腹が立つだろう。

腹が立つことを言うからではなく、指図するのが良くない。

だから、自分にできることは、事実と意見を混在させて読者を誘導するような新聞があったら、職場であろうと、あるいは食堂・喫茶店、他人の家であろうと、決して読まないことくらいだろう。

たまに文化面に良い記事が載っていたり、天気予報が見たくなっても、手に取らない。

私なら、新聞の判断基準は簡単に次のように決める。
例えば、いわゆる「加計問題」なら、1面の見出しで「首相関与を否定」ならOKだが、「首相関与を否定も疑惑深まる」であれば、事実と主観をごっちゃにしているのでNGとして、以後その新聞は手に取らないことにする。

大袈裟なタイトルにしてしまいましたが、結局大したことや目新しいことは書けず、ダラダラした文章になってしまい、失礼しました。

[無用な雑学] 突然ですが、「文字金」って知ってますか?
先日、知人数人が週刊誌のパズルを解いている場面に遭遇した。

3文字熟語の最後の漢字を次の熟語の頭にして、繋げて解いていくというものだった。

その中に「文字金」という熟語が出てきた。
「モジキンって何?」と尋ねたが、
「前後から考えてこの熟語しか入らないが、意味は分からない」と知人は言う。

アホな私は、色紙や陶磁器に金色で文字を書くための金があるのかなぁ、と思った。

後日、ふと思い出して検索してみたところ、全く違っていた。
「ブンジキン」と読み、内容は次のとおりだった。

文字金銀(ぶんじきんぎん)とは、江戸時代の元文(1736年)と文政(1819年)の改鋳 によって造られた裏面に「文」の文字が刻まれた金貨・銀貨のこと。 概要[編集]. 次の 金銀が文字金・文字銀に該当する。 文字金. 元文小判 · 元文一分金 · 文政小判 · 文政 一分金 …(Wikipedia)

あーあ。