言葉の意味の違い

かなり昔に、夏目漱石の「草枕」を読んだことがある。
内容については、いつものようにすっかり忘れてしまったが、冒頭部分の有名な、
『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』
というところは微かに覚えている。

それで、『情に棹させば流される。』だが、大方の予想どおり、誤解していた。
小舟を棹で操船するイメージはあったが、進行速度を抑えるように操作するものだと思っていた。

「棹さす」といえば、なんとなく「抵抗する」という感じがして、当時は「情に逆らうと、かえって情に流されるのかな」という意味に取っていた。
しかし、後年、何かの本を読んだ時に、真逆の意味であることを知った。

意味や用法が変わってきたような言葉などをいくつか思い付いたので、ダラダラと書いてみる。

・「全然~だった」
「全然」で始まれば、後に「~ない」と否定形がくるのが普通だと思っていたが、単に「とても」とか「非常に」という強調形で使う人が増えてきて、私も大分慣れてきた。

・「的を得る」
的は弓矢で射るものだから、「的を射る」というのが正しいのではないかと思っていたが、最近の国語辞典では、誤用ではないとしているらしい。
以前は、「当を得る」との混同で誤用とされていた。

・「足元を掬う」
「足を掬う」方が確実に相手を倒せると思うが、「足元を掬う」という言い方の方が最近では多いようだ。

・「団塊の世代」
何年か前まで、私は「団塊の世代」というと、何となく現時点で60代後半~70代前半の世代と思っていたが、もともとは、1947(昭和22)年~1949(昭和24)年の世代(現在67~70歳)を指すらしい。
この3年間の出生数が突出しているためであるという。
終戦後、復員した人々が結婚し、出生数が急増したのが原因とされている。

本当にダラダラと書いてしまったが、本来の意味に戻そう、などと言うつもりはさらさらない。
言葉の意味が時代ともに変わっていくのは当たり前だと思っているし、今、普通に使っている言葉や漢字の読み方なども、当時から言えば誤用になるものも多いのではないかと思う。

少し気懸りなのは、言葉の意味が相手と自分で異なっていると、誤解を生みやすく、誤解は争いの元にもなりかねないということだ。

ある程度の時間、相手と話し合っていると、『この人は、この言葉をこういう意味で使っているんだな』と分かることが多いが、そうもいかない場合がある。

少し話は違うが、私は一時期、帰宅の途中に駅前の立ち飲み屋に立ち寄っていたことがある。

その時、ある年上の男性客と時々会うことがあって、親しく話をするようになった。
いつもニコニコしていて、おもしろい人だったが、自分で自分のことを、『家では家族や近所の人から、恐い顔をしていると言われているようだ』と言ったことがあった。

それでつい、『鬼瓦のような顔に見えるのかも知れませんね』と余計なことを言ってしまった。

そうしたら、烈火のように怒り出し、『あなたは今まで良い人だと思っていたが、考えが変わった』とまで言われてしまった。

こちらには悪意はなかったが、「鬼瓦」に余程腹が立ったらしい。

 

「沈黙は金、雄弁は銀」という西洋の格言があるが、『当時は銀の方が金よりも価値があった』という説もあって、私には真意が良く分からない。

ところで、私はコマンドを見ても、さっぱり分からないのですが、wordpressのphpにある
「Silence is golden.」は何なんでしょう?
ユーモアなのかな?
中身を表示されないための設定らしいですが。

ブログランキング・にほんブログ村へ

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA