神社と宗教

先日、友人のヒツジさんと神社に行った。
わざわざ行ったというより、近くまで行く機会があったので以前行ったことがある神社に立ち寄ってみた、という感じだ。

本殿に行ってみたら、最近改修したようであり、屋根も葺き替えてあり、美しい曲線を保った立派な屋根に仕上がっていた。

私は、
「雨水を流す屋根の溝は最速降下線(サイクロイド)になっているのかな」
「今の時代、これほどの萱を集めるのは大変だっただろうな」
などと無粋でお気楽なことを考えていた(後日調べてみたら、萱ではなく「檜皮葺(ひわだぶき)」と言うらしい)。

ヒツジさんは、『屋根の両端が剣が直角に交差したようになっているだろう。あれには意味があって、・・・・』と教えてくれたが、私にはよく分からなかった。
ただ、そういえば西宮神社でも見掛けたような気がする。

2人で本殿を後にして、歩きながら話をした。
私が、脈絡もなく唐突に、『ところで、神社って宗教なの?』とヒツジさんに訊いてみた。

多分私の頭の中に、次のようなモヤモヤがあったためだと思う。
・なぜ神社では、徳川家康や菅原道真や、おキツネさんなどを祀っているのか?
・キリスト教圏の国の学者が、
『キリスト教は洗練された宗教である。一方、日本では文化・教養・科学技術などの分野で先進国なのに、なぜ未だに宗教ではアニミズムが浸透しているのか?なぜ原始人のように自然神を拝むのか?』
と言った記事を読んだことがある。

後段は、多分、日本人が初日の出を拝んだり、山の神・便所の神などと言っていることだろうと思う。
私は、そういった思いや感覚が好きですが。

で、ヒツジさんは、次のように語った。
『古代の日本人は、多分、弥生時代の頃からは農耕民族だった。
それで、新しく土地を開墾していったが、日本では地震、台風や旱魃などの自然災害が多く、皆が力を合わせて対処しないとどうにもならなかった。

そこで、新たに開墾して集落をつくるとき、先ずその地域の山の上に神社を造った。
皆で五穀豊穣を願うとともに、年中行事を通じてコミュニティの結束を図り、自然災害に立ち向かった』。

日本は地震と火山の噴火でできたと私は思っていることもあり、彼の話には共感できる。

続けて、
『神社が宗教なのかどうかはよく分からないが、現世利益を前面に押し出しているのが神社の特徴だと思う』と語った。

私の狭い知識からの素朴な疑問に、彼はyesかnoではなく、いつも包括的な見地から説明してくれ、私は秘かに尊敬している。

確かに、仏教やキリスト教などで極楽浄土や天国の話がよく出てくるのと異なり、神社では 現世利益 がメインになっている気がする。

神社の絵馬では、『志望校に合格しますように』『家族がみんな健康でありますように』などが殆どで、あの世のことを記しているものは見たことがない。
また、神社のお札やお守りは、『家内安全』『交通安全』『商売繁盛』など、言わば現世利益ばかりのようだ。
十日ゑびすなどの行事も多い。

タイトル詐欺のようになってしまいましたが、結局私には、神社が宗教 かどうかは分からないし、どちらでもよいと思っている。

何を持って宗教というのか、「一神教で少なくとも月に1回は参拝等の宗教行事に参加しなければならない」ということであれば、多くの日本人にとって神社は宗教ではないが、(私がとても行けない)急斜面を越えて毎日のように参拝される老婆の姿を見ると、この人にとっては神社は宗教なのだろうな、と思ってしまう。

神社が現世利益を前面に押し出しているというヒツジさんの言葉で、私のモヤモヤは少し解消した気がする。
そしてそれは、決して悪いことではないと思っている。

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