理系と文系

凡人たる私が言及するのも失礼なんですが、やはり高橋洋一さんは凄いと思う。
一つは、限られた時間の中で、一般人にも分かり易いように説明されることだ。
具体的な数字を挙げて説明されることはあるが、『これは経済学では「○○○」と言って、今後こういう結果になるんです』などと言って、専門用語で煙に巻いて話が終わってしまうというところがない。
もう一つは、大蔵・財務省内部にいた自身の経験から、一般の報道には出て来ないような官邸・財務省などの情報を教えてくれることだ。
財務省の論理、具体的な手法について話されることもあり、財務省は、かなり腹を立てていると思う。
また、以前の高橋洋一さんの記事で、「日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の株式の譲渡の制限等に関する法律(昭和26年法律第212号)」が取り上げられたことがあるが、『読売、朝日、毎日、産経、日経新聞などは、何故上場企業ではないのか』ということは、私を含めて一般の人は上場していないことすら殆ど知らないし、疑問を持たなければ決して検索して調べることもない内容であり、有益だったと思う。
あれだけズバズバと発言されるので敵も多く、「御用学者」だとか、人格攻撃まで行って反論する人がいるが、冷静にその反論を読んでみると、その人達は無批判に事実とは思えないことを受け入れてしまって正確に物事を理解しないまま反論の根拠としていることが多く、簡単に言ってしまえば、高橋洋一さんの圧勝だと思う。
このように書くと、私を高橋洋一さんの「信者」だと思う向きがあるかも知れないが、そんなことはなく、ただ、私の幾ばくかの理性に照らし合わせて考えてみると、その発言に納得できるところが多いというだけことです。
少し水を差すようですが、私は竹中平蔵さんの発言を直感的に受け入れることができない。
誤解を恐れず分かり易く言うと、私は彼が嫌いです。
竹中平蔵さんは、かつて高橋洋一さんの上司であった筈だから、『この二人の関係はどうなんだろう?考えに共通するところが多いのだろうか?』と気にはなるが、そのことで高橋洋一さんの主張に対する評価が変わることはありません。
表題の話がいつまで経っても出て来ないし、一体何の話をしているのか、と思っているのは私だけではないと思いますが、遅ればせながら、この辺りから本題に入りたいと思います。
いささか旧聞に属しますが、築地市場の豊洲移転問題での高橋洋一さんの記事で、理系と文系という言葉が出たことがあります。
一部のマスコミが、豊洲の地下水から「ヒ素が環境基準の4割検出」などと報道した後、高橋洋一さんが『それはミネラルウォーターの安全基準以下だ』と言ったところ、その後の報道が止まったらしく、その時「マスコミは中学の理科、基礎的な高校の数学・物理・化学程度の知識を持て」という文脈の中で、「理系」「文系」が出たのだったと思う。
確かにこの報道の見出しを見て、私も「ヒ素が環境基準値の140%だったのか」と思ってしまった。
「環境基準の4割」で何が問題なんだろうと思う。
『ヒ素が悪い』という「0か1か」「善か悪か」という二項対立的な話でなく、科学的・現実的な話をしましょう、ということだと思う。
私は、人間の生活の殆どは0と1の間の、言わば小数点の世界で行われていると思っているので賛同します。
さて、「理系」と「文系」の明確な区分は分かりませんが、私的には大学などで高度な数学を使う自然科学系の人が「理系」の人というイメージです。
もっと身近な感覚で言うと、大学の入試で「数Ⅲまでの数学」と理科で「物理」「化学」などの2科目が要求されるのが「理系」という感じです。
理系の人が文系の人と比べて優れているかというと、私はそんなことは勿論思っていませんが、自然科学の基礎的な知識と考え方は、生きていく上でかなり役に立つ部分があると思います。
もし、理系の人が、数学の解を簡単に求めるように政治の世界で政治問題を解決できるのであれば、例えば国会議員の資格に上記の科目の試験結果を要件にすればいいと思います。
最近の有名な国会議員で理系の人はだれがいるかなぁ、と考えてみたところ、思いついたのは、
鳩山由紀夫、菅直人、志位和夫などの人達でした。
そう言えば、ドイツのメルケル首相も東ドイツの物理か化学の学者でしたね。
理系は政治の世界ではあまり関係ないような気がします。
少し長くなってきたのと、また操作ミスで記事の一部が消えてしまって少し凹んだので、勝手ながら中途半端にこの辺でいったん終わります。
『自然科学の基礎的な知識と考え方は、生きていく上でかなり役に立つ部分があると思う』という辺りをもう少し自分の経験から書きたかったんですが、申し訳ありません。
と言う訳で、続きは『明日の心だ』(知ってる人、いますか?)
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