生活保護の理念と旧生活保護法

生活保護の問題に関する報道が時々流されるが、私は生活保護制度は必要だと思っている。
予期せぬ病気・障害・失業・倒産などによって生活が立ち行かなくなった時に、最低限食べていける生活保護があることは、心強い。
自己責任で生命保険や各種の救済制度で対応すれば良いという意見があるが、そうはいかない現実がある。
困窮しているので生保を受けるのが当たり前という考えはどうかと思うが、困窮しているときに一時的に生保を受給することに卑下する必要はない。
日本に産まれたことに感謝し、捲土重来で、将来社会に還元すれば良いと思う。
何らかの理由で一度失敗したら再起不能となるというのでは、冷たい、厳しい社会となってしまい、貴重な社会資源を失うことにもなりかねない。
問題は不正受給である。
収入があるのに申告せず、働けるのに働けないと言って生活保護に寄生するのは、本来救済されるべき人々を排除してしまうことにも繋がり、制度の存続意義を棄損するものである。
社会の片隅で生活保護を受けられず、『おにぎりを食べたい』と言って餓死した人もいるという不条理が生じている。
柄にもなくきつい言葉で書くのに疲れたので、この辺りから普通の書き方にしたいと思います。
なお、外国人籍の方に対する生活保護の適用については、今日は言及しません。
生活保護法は、条文を読んでも、いざという時に自分は保護を受けられるのか、あるいは、いくら貰えるのかということは、さっぱり分かりません。
具体的なことは、通知、通達、要綱等で決められており、消費者物価指数などを勘案して毎年10円単位で改定されているからです。
次のうち、保護の要件を欠く(保護を受けられない事由となる)ものはどれか分かりますか?
①持ち家である。
②20代で病気などはないが、就活を行っても就労できず生活に困っている。
③失業給付を受けている。
④現に働いている。
⑤住民税・水道料金などを滞納している。
⑥凶悪犯罪を犯し、刑務所から出所した直後である。
⑦民生委員が生活保護の受給に対して否定的である。
回答はいずれも×で、欠格事由とはなりません。
しかし、『例外のない規則はない』という西洋の格言のとおり、これにも例外があって、例えば①では住宅ローンを支払っている場合には、結果的に他人の税金でローンを支払うことになるので、不可となります。
現行の生活保護法は、昭和25(1950)年に成立しましたが、実は旧生活保護法というものがあります。
旧法といっても戦後の法律で、昭和21(1946)年に成立しています。
現行法との大きな違いは、旧法は「勤労を怠る者その他生計の維持に努めないもの、素行不良な者など」を保護の対象から除外している点です。
分かりやすく言うと、逆に現行法では、『保護を要するに至った原因を問わない』という考えに基づいているということです。
憲法第25条の精神に則り、「国の責任において生活に 困窮するすべての国民に対する、最低限度の生活保障と自立の促進を目的とする」ということで、理念としては素晴らしいものだと思います。
しかしながら、これは考え方の問題であり、どちらの立場に立っても、
『生活に困窮しているのに何故生保が受けられないのか』という不満と、『何故あんな好き勝手をして世間に迷惑をかけた人を保護するのか』という不満が生じてしまいます。
そして現実の場面では色々と不合理と思われる場面に遭遇してしまいます。
例えば、若いうちに将来のために、あるいは高齢者世代のために、少ない収入の中から年金を払っていた人が何らかの事情で生保を受給することになった場合、その年金収入分は保護費から差し引かれてしまいます。
一方、若い頃好き放題をして年金を支払っていなかった人が年老いて生保を受けるようになった場合には、引かれる収入がないので、まるまる保護費が支給されることになります。
さらに、養護老人ホームなどに入所した場合、負担金に差が生じることがあります。
このような事態が生じていれば、ただでさえ自分が支払った年金保険料が将来の受給時には充分に補填されないと思っている若年層のモチベーションを下げ、国民年金の不払いが加速され、年金制度が破綻するのではないかと危惧されます。
制度設計と運用をしっかりしたいただきたいです。

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