片柳神父の言葉

私は昨年の4月から、Twitterを始めた。
140字で自分の意見を上手く伝えることは難しく、しかも生来の横着もあって、「いいね!」とそのまま「RT」するだけのことが多かった。
意見が近い人、新鮮で有益な情報を与えてくれる人には「フォロー」を続けてきた。

その中で、少し前から片柳神父の雀の写真と他の鳥や花の写真、そしてその見識の深さと思いやる気持ちが溢れたコメントに心を動かされフォローするようになった。
彼には有名人にありがちな、「フォロワーは滅茶苦茶多いが、フォローは少ない」といったことがなく、ご自身のフォローも多かった。

私の敬虔なカトリック信者であるの友人との何気ない話の中で片柳神父の話が出てきた。
彼によると、片柳神父は大学の後輩であり、インドに行ってマザー・テレサとともに活動し、マザー・テレサから『あなたは、神父になりなさい』と言われたそうだ。
そして日本のキリスト教の界隈では、有名な方のようだ。

には痺れた。
気持ちが少し楽になった。

私は、片柳神父の著作を読んだことがないが、そのことが却って新鮮な思いも素直に持つに至ったかも知れない。

『神様が私たちをこのように造ったのだとすれば、それは神様の責任であって私たちの責任ではありません』。
という言葉は、私の短からぬ人生の中でキリスト教の関係者、神父や牧師から聞いたことがなく、驚いた。
『それは、悪魔が悪さをしているのです』という言葉は時々聞いたことがある。

実存的な考えかとも思うが、別にそれがどうということはない。

ユングが説いたグノーシス主義についても考えが及びましたが、それは別の機会があればまた書いてみたいと思います。